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屁理屈よりも実践   08-06-23 月 20:30:45 Weblog

読者 :
ご先祖様供養を教えて頂いた初めは、不安や我良しからはじまり、淡々と実践を繰り返す事でその心が感謝へと変わっていっています。 実践て偉大です。
なので神棚を設けてお祭りすることも、毎日の実践のなかできっと本当の真心を現してゆく事ができるようになるのではと思っています。
尊い方をお迎えに行くような心で、伊勢へ神宮大麻を頂きにまいろうと思いますが、しかし、その尊いものは外でなく、まさに
私のこの身の内に既に在る事を毎朝認め、感謝するために、御
神札をおまつりしようと思います。
返答 :
これは、神を祭る正しい心構えを、上手に表現されています。
人間とは、怠惰なものです。 神に感謝する気持ちが大切
だと頭では分かっていても、日常の忙しさに追われていると
神へ感謝の磁気を向ける時間を取ら無いものです。
目に見える形としての神棚が在ると、数分でも感謝の気を
発する行為をし易く成ります。

先祖供養一つをするにも、あーだ、こーだと心配ばかりして
、心の中で供養すれば十分だと言う人もいるでしょう。
でも、ここは現実界なのです。
行為結果が空想に勝る世界に、私達は居るのです。
腹を空かして泣いている子供をなだめるには、食べ物を
現実に与えるしか無いのです。 気持ちをプレゼントしても
子供の御腹は満足しません。
2007-12-01日の記事にも書きましたが、実践行為は屁理屈
空想をぶっ飛ばします。

人間は好きな様に行動できます。 その中で見返りを期待
せずに、見えない存在へも行為が出来る事は、尊い事です。
これは、その人の情け深さや慈悲心の有無にも通じます。
そして、自分が生かされている事に気付ける人間かどうか
にも関係します。
自分がする行為に一々見返りを期待したり、無駄な行為を
嫌う人間は、「自分の力で生きている」と思うものです。

日本の文化には、茶道や舞芸のように決められた動作を
生涯を掛けて繰り返し追求する文化が多いです。
茶道の同じ御手前を100回しても、毎回違う感触が有ると
聞きます。 1回の御手前は、一期一会です。
2度と同じ御手前には、成らないのです。
反復動作に肉体の注意を向ける事により、肉体の縛り
(月の支配)から開放されて、隠れている霊性が垣間見せる
事があるのです。 これは、隠された宗教奥義にも通じる
事です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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