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見る視点だけで人生は改善します   11-02-14 月 12:05:35 Weblog

人間というものは、元気な時や調子に乗っている時は、身の回りにある小さなサインや他人のことは気にならないものです。他人に冷たくも出来るものです。
しかし、自分の調子が悪く成りますと、急に周りのことが気になり、細かいことにも「気付き始める」ものです。
元気な時は、自分本意が勝り、弱いときには他人の視点を過剰に気にします。
では、精神の向上の視点では、どちらの状態が魂にとって良いのか?
調子に乗っている時には、悪い縁(えん:原因となる)も造りやすいので、他人を傷付けるぐらいならば自分が不運な状態も「悪くない」と言えるのです。自分が不幸でも、そのぶん他人の気持ちを理解できるならば、魂にとっては良いのです。不幸も悪くないです。
ただ最悪は、自分が不幸だからと他人も呪うような態度は、一番ダメです。これこそ本当に「不幸な人」です。先行きも暗いままで、光が見えません。

形だけでも先祖供養を実行できる人や、内在神=良心に向き合う内容の伊勢白山道を読める時点で、その人は光に向かって歩き出しているので大丈夫です。
やはり改善したい、良くなりたいという希望は生きる間は大切です。
私はサラリーマンとして20年間以上も勤務できたのは、仕事の中に「修行の視点」を持ったからです。
これが大きなポイントなのです。
この視点が無ければ、嫌な事だらけだと思います。嫌な人物や嫌な事、競争はいくらでも在ります。
しかし、私の場合は、霊力や実現力の実験場でもありました。
また、「前向きに」あきらめる、未練を断つ練習の場でもあります。
仕事で嫌な刺激を受ければ、不屈の意志を持って喜々と受け切る覚悟を持っています。

家庭の主婦でも、家族との相克の中に、自分の愛情力を高める修行場にいくらでも出来ます。それで得た愛情力が、自分自身を死後に助けることに成ります。
すべては流れて過ぎ去る中で、良い志(こころざし)を持つことが重要です。
要は永遠に「死ぬことが出来ない」魂の視点では、この世の短い人生での調子や成功とは、必ず消えてしまう小さなことに過ぎないのです。
そんな小さなことよりも、不幸でも不運でもよいから、愛情を持つ人に成れれば成功者なのです。死後にも持参する意識と成ります。
更に言えば、この現実界に「生まれ出ることによってしか」獲得できない意識なのです。
今が幸福な人も、不幸な人も、この言葉を常に忘れなければ、すべてにムダはなく、神様からの恩寵(おんちょう:プレゼント)へと改善します。それは、

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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