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子育ては継続します   11-02-20 日 11:42:50 先祖供養について

何時の世でも、早い時期の親子の死別ほど辛いものはないです。やはり、もっと色んなことを子供に体験させてあげたかった、共に経験したかった、という思いが残るものです。
でも、生きていれば、それはそれで学校や健康問題、交友関係、子供の先行きを心配して、子供以上に親が悩んでもいるものです。
結局、人の死とは、死んだ本人以上に周りに居る生きている人間の学びの経験の要素が強いのです。
人間とは、自分「だけ」のために生きていますと、必ず行き詰まるものです。
家族を生かしたい、従業員や縁ある人を活かしたい、と良心が思うから頑張れる要素を持つ生き物です。

では、生きがいとしていた子供を亡くしたならば、どうすれば良いのか?
自分が生きる限り子供を供養する覚悟を持てば良いです。子供の魂も永遠不滅な存在ですから、供養して行けば必ずアノ世で育ちます。
子供が亡くなっても、感謝の供養によるアノ世での子育てという、生きる限り親には供養の義務があると私は感じます。
ここで大切なのは、亡くなった子供の霊だけでは無く、子供の世話をして頂くために先祖全体への感謝の供養が大切なのです。
今は薄れて来ていますが、昭和の時代には現実界と霊界の間に中幽界(ちゅうゆうかい)という次元が在りまして、その世界では近代的な病院から保育所、温泉の保養所などの、肉体を離れた魂が休息する世界がリアルに在りました。

今はしませんが私の昭和時代には、私に縁ある知人の子供が亡くなりますと、私の霊格の波動をあえて落として中幽界にアクセスをします。
そして、死んだ子供が赤子ならば、中幽界の託児所にいる先生と、赤子と縁ある先祖霊の2名を呼び出したものです。託児所の大半の先生が女性であり、日本人ならば苗字ではなく下の名前だけを自ら名乗っていました。何人も先生はいましたが、今でもサユリ先生と名乗る霊体は顔まで覚えています。
最初に先祖霊に赤子の魂を預け、先祖霊からその先生に赤子の魂を預ける意志を伝えてもらうのです。これで、赤子の身元引受人の先祖の所在と、霊体が安定するまで預かる託児所との関係が成立します。この世での親と、昼間に預かる託児所との関係と同じです。
先祖霊から赤子の魂を受け取った先生は、「ああ、こんな所にいたのね」と受け取って行かれます。
このような私の脳内の理(ことわり)の手順(これが結びの働き)を踏むだけで、何も知らない親御さんは翌日から何か心境が改善したと言ったものです。

今の平成では、このような幽界を触る行為は一切不要です。むしろ厳禁です。
先祖全体への供養をしていれば、亡くなった縁者は必ず救われて行きます。それほど、神と先祖と生きる人との間の距離感が縮小しているからです。
太古は、神界と生きる世界の2つしかなく、霊界でさえも後世に発生した次元です。(過去記事を参照k.cgi?071006a
今でも霊媒(れいばい)という仲介者を使う供養をする有料先生が居ますが、これは100%魔道に変わっています。アノ世の変化も知らない証拠です。

感謝を「与える」先祖供養とは、先祖霊や縁ある故人を癒し救い、自分も「与える」行為の反射を受けて「救われる」原理なのです。
神様は、自ら「感謝をする」ことで「対象を産み出す」存在です。神様は、他から感謝をされるから、与えてくれるのでは無いのです。
私たちも、見えない先祖のお陰、この世でも「陰で働く人々」のお陰で「生かされて」います。
だから、せめて感謝の気持ちぐらいはドンドン与えて行きましょう。感謝の先祖供養が継続できる人は、絶対に大丈夫です。
我良しの人は、供養も継続しないです。自分のために生きているからです。
良い気持ちは、他人にいくら配っても尽きることはなく、逆に自分が何かを「与えられ」ます。これは絶対の理です。

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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