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想定して忘れる極意   11-02-24 木 11:30:33 Weblog

私のサラリーマン人生における初めの10数年間は、企業ごとの業務管理のシステムを受注する営業マンでした。今は天然資源の輸入に関わる部門をしています。
私はシステムのソフト開発は素人でしたが、客の業務の改善点を盛り込んだ全体の流れを提案する能力だけは直感でありましたので、受注を重ねることは出来ました。
問題は受注した後でした。自社のシステム・エンジニア(SE)を連れて、客先での詳細打ち合わせが始まります。
私は素人のお客様と同じ目線に立って、「これが出来ないか?あれも出来ないか?」とするわけです。受注する前の営業段階でも、「出来ます」と約束している事もあります。自社の開発予算内で客を満足させるように、自社と企業間の落とし所を誘導するのが、営業の役目でもありました。
問題は、数ヶ月〜1年もの開発期間を経てから納入して、企業の実務での稼働を始める時です。無事に業務が運用するように、初日から本当に緊張しました。もし、問題が発生すれば、トラブルの弁償や当社の開発費の回収に懸念が生じます。

お陰さまで、受注した仕事の大半が無事に稼働しています。
この時に大切だったのは、あらゆる悪いパターンを想定した洗い出しでした。
すべてがうまく行くなどと、簡単に思っていては絶対にダメでした。現実界とは、そういう次元なのです。
ここが、今の精神世界に欠落している事であり、実践力を無くしているポイントです。
「もし、〜したならば」を想定して、それへの対処を確実にしていきます。この時に私は、悪いパターンを思い付く天才だとSEから言われていました、笑。

私の人生を振り返りましても、事前に「もし、〜したならば」と想像「出来た」悪い事は“起こら無いのです”。
もし起こっても、慌てずに淡々と対処をしたでしょう。
そして、悪い想定をできた事は、普段から「そう成らないように」無意識に自分が動いているものです。それへの努力もするものです。
だから、悪い事が実際に起こった人が一様に言うことは、「そんなこと思いもしなかった」と言います

事前に想定していても現実に悪い事が起きれば、私はきっと「仕方がない」と思うでしょう。
「生かして頂いて ありがとう御座位ます」という生死の視点から問題を見ますと、「生きているだけで十分だ」と覚悟ができますし、むやみに落ち込むことも無いです。
悪いパターンも想像できる“心の余裕”と、仕方がないという執着を離れた覚悟を持てば、「人生は気楽に成ります」。

極意は、悪い事を想定できれば、「それを忘れても良い」です。無意識下に渡して、仕舞って置きます。知って置くことが大切なのです。
正知(せいち:正しく知ること)は、人生を改善させます。
そして、いつまでも心配して執着することが一番ダメです。
悪い心配を忘れて、明るく覚悟をしていれば、災難は去ります。
こんな小手先も、この言葉で生きていれば不要と成ります。それは、

生かして頂いて ありがとう御座位ます


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